何を言っても聞き入れないほどの怒りを抱えている人に、どう対応するか?

「職場で理不尽な扱いを受けた」と、大きなマイナスオーラをまといながらの訴え。自身の仕事上のミスを発端にした謝罪から解決までの上司の対応がひっかかっていたようでした。

自分のせいではないこと、事実ではないことをあれやこれやと人に吹聴され、みんなの前で恥をかかされる。「全部お前の責任だからな」という上司の指導も「自分の対応不足を棚に上げて」と到底受け入れられない。第三者の前では自分の保身に走ったりすることもありますから厄介ですね。

とはいえ、当初小さなミスから始まった事例が、対応を重ねるうちに金銭の過要求を伴う大きなクレームへと発展することもあるわけです。「理不尽」という主張の中にはそうしたイザコザがすべて含まれていたのだと思います。

訴えは「怒り」です。初めのうちは、自分のミスに対しての責任感や罪悪感から「申し訳ない」という気持ちだけだったはずですが、いつの間にか感情は「怒り」へと変化していき、収拾がつかなくなって、気持ちの行き場がなくなれば苦しくなってきます。誰かに訴えたくなるのもわかります。

その人の目には何が映っているのか

こういう場合、感情を受け止めつつ、状況をすべて話してもらいながら、理解できる部分、納得できない部分を整理していきます。ですが、「こうされたことが理不尽」「普通はそうはしないだろう」といった「べき論」から話が進まないことも多いです。怒りなどのネガティブな感情が消化しきれないまま残っているからですね。「言い分」が受け入れられないと、未消化の感情が冷静な思考を奪って「自分は正しいのに」という考えから抜け出せなくなりやすいからです。

そこで、とても不思議に思ったことを質問してみます。

「それで今回、理不尽でひどい扱いをされたことについて、その人には謝ってもらったのですか?」

「えっ?」

「だって、謝って欲しかったのではないですか?」

「・・・いや…うん。間違っていたことは修正して欲しかったですね」

仕事のやり方、対応の仕方、口調、態度…などなど「こうすべき」とか「普通はそうじゃない」とかいろいろな正論があります。そしてその正論は関わる人が多くなればなるほど増えていきます。一人一人に「正しい」があり、一人一人にその人なりの正論が存在するからです。それを押しつけ合おうとするから、理解や共感が得られないという「問題」や「悩み」へと発展するのだと思います。

つまり、「理不尽だ」の訴えの裏には「自分が正しいはずなのに」という考えがあったのですね。
正しいことが証明されなかった状況に理不尽さを感じていたということになります。

本当はどうしたかった?

一人一人にそれぞれの立場での正論がある、という前提で考えた時、そこを論点にすると話は堂々巡りになってしまいます。実際「理不尽さ」はおそらく完全に解消されることはない可能性の方が高いです。そうするといつまでも「怒り」の感情に苦しまなければいけないですよね。

そう、ミスから時間の経った「今、ここで」起きている問題は「怒り」です。

この場合で言えば、事の経過の中で感情だけを取り出して考えてみると、
・ミスをした時は「申し訳ない」
・対応を重ねるうちに生じた理不尽に傷ついた「怒り」
この2点だけです。

どちらもお互いが謝れば済んだ話ではないでしょうか?
こんなシンプルな話ってあるでしょうか?

仕事としてやるべきこととそこに生じる感情をごっちゃにして考えるから「相手は普通こうするべきでしょ?」という思考が働くのだと思います。そうして「じゃあ自分は本来どうすべきだったのか?」という本質を見失って感情に溺れ、気持ちの行き場を失った結果、苦しくなってしまうのだと思うのです。

「自分のミスで迷惑をかけた。(本当は)許して欲しかった」
「自分は傷つけられた。(本当は)謝って欲しかった」

という自分の気持ちを無視し続ける、というよりも正論をくっつけることで問題をどんどん大きくし、見えなくなってしまっていたのですね。

こんな風に、問題や悩みを大きくしているのはほとんどが自分自身です。

当事者として関わっているとそのことが見えなくなって、周囲に責任を押し付けたくなったり、自分を正当化しようとしたり誰かや何かのせいにしてラクになりたいと思うようになるものです。人間なら誰でも持っている防衛本能ですよね。

ですが、状況にまつわる考えや感情を丁寧に紐解いていけば、必ずシンプルな本質にたどり着けます。本質さえ見えれば「本当はどうしたかったのか?」がじんわりと見えてきます。そうしたらあとは「じゃあ、どうする?」にすんなり移行できるはずなのです。

問題解決は、話を聴く中で「どれだけシンプルにできるのか?」がカギだと思います。
そのためには、感情も考えも価値観も、もしかしたらその人が大切に考えている「信念」のような部分まで丁寧に聴くことが必要です。

感情に溺れてしまってまわりが見えなくなってしまっている時には、誰かの力を借りなければそこから抜け出せないということも多いです。お互いに話を聴き合い、助け合えるような環境づくりが大切です。